Hütte on the moon.

いだてんぐの小説置き場です

武器

刃が月影を受けてぎらりと煌めいた。

 

「"眠れ"!」
あやめのその声に促されるように魔力の源──聖骸は機能を停止する。その持ち主の男は悔しそうに唇を噛むと、懐に忍ばせていたバタフライナイフを手に彼女へ迫った。
「くっ……!このぉ!舐めやがって!」
キィン──
金属がぶつかり合う独特の高い音があたりに響く。あやめはいつの間にか身の程もあろうかという大きさのハルバードをその右手に携えていた。軽々とその得物を扱い男の手にあったナイフを薙ぎ払うと、その喉元に切っ先を突き立てる。
「舐めているのは貴方の方です。これでもあたしは魔導課の総隊長……ある程度の戦闘技術は叩き込まれています」
さあ、まだ続けますか?ひやりとした銀の感触が男の顎をなぞる。彼は観念したように地に膝をつき、がっくりと項垂れた。

 

「ご協力感謝します」
「ありがとうございます、あとはよろしくお願いします」
警察に男を引き渡すと、あやめは軽く一礼をする。魔導課の仕事はあくまで魔術による災害への対応だ。取り調べや罪を裁くことなどは管轄外である。魔術師を確保し、無力化したあとはこうして警察に身柄を引き渡すのが通例となっていた。
とは言え。彼女は地面に転がったバタフライナイフを手に取る。その後のことが気にならないわけではない。自分たちが確保した魔術師が今後どうなるのか、無事に社会復帰できるのか。それはあやめのみならず他の魔導課メンバーにとっての関心ごとでもあった。
(……あたしには、こうして間違いを正すことしかできない)
鏡面のように磨かれた刀身に彼女の端正な横顔が映る。
(でも、せめて──あたしたちが捕らえた魔術師たちのこれからが明るいものであるよう、願うことは許されますか?)

 

無機質な銀色に反射した月は静かにあやめを照らす。
彼女は刀身を納めると、事態の報告をするため本部へと急いだ。

ネコ

それはどこまででも深く潜れそうなキトゥンブルー。


よたよたと頼りない足取りで白い毛玉が板張りの廊下を歩く。
一歩踏み出す度に、姉は歓声を上げた。


「可愛い!可愛いねえ、この子!」


「姉ちゃん、こいつが来てからそれしか言ってねえな」


「うるさい、可愛いことには変わりないんだからいいでしょー?」


普段口喧嘩のときに見せる圧倒的な語彙力はどこへ行ってしまったのか。しかし、彼女のその感想には僕も概ね同意だった。


春の綿毛を思わせるふわふわの毛、ビー玉のようにくりくりとした瞳。短い尻尾はこれでもかと言うくらいに高く立てられ、今は隠れて見えない柔らかな肉球は綺麗な桜色をしている。


「それで、名前は決めたの?」


「ふっふーん!ばっちり!
名前ね、"空"にしようと思うの!この子の目、すっごく澄んだ空色だし!」


ねー、空。ころころと廊下を転がり回る子猫へ嬉しそうに声をかける姉に、僕はある事実を告げられずにいた。


その目の色は、子猫のときだけに現れるものだということを。

金色の風はセンチメンタルを連れてくる。それは夏から遠ざかった故の冷たさをその身に纏っているからだろうか。
ぴゅうと駆け抜ける北風に古都は思わずウイッグを押さえる。ちょっとやそっとでは取れはしないとわかっていても、やはりこういうときは少し怖い。せっかく姉に頼んで女性に仕立ててもらったのだ。あやめに会う前にそれを崩してしまうのは避けたい。


ボルドーのアイシャドウが引かれた目蓋をそっと伏せる。マッチ棒が乗りそうなほど長い睫毛が僅かに揺れた。


「古ー都!」


背中に感じる、慣れ親しんだ体温。ぎゅ、と腰に回された腕に手を重ね、古都は表情を緩めた。


「あやめ」

「待たせちゃったね、ごめんね」


彼女はたたた、と古都の正面に回ると、その手を取って両手で包む。冷え切った指が徐々に感覚を取り戻していく。


「相変わらず綺麗」


「あやめこそ、今日も可愛いよ」


古都があやめの顔に触れながらそう笑いかけると、彼女の頰は朱に色づく。

どちらともなく指を絡ませ、体温を分かち合う。だんだんと混ざっていく温度が2人の境目を溶かしていく。


「それで、今日この格好で来てほしいって言ってた理由は?」


「そうそう!実はね、この間お店ですっごく可愛いマフラーを見つけたんだ!女の子の古都に絶対似合うと思って」


だからお願いしたの。迷惑だった?不安そうにこちらを覗き込む彼女に、古都はまさかと首を横に振った。むしろどんな自分でも受け入れてもらえているのだと嬉しく思うくらいだ。


ひらりひらりと銀杏の葉が雪のように降り注いでいる。寒さに身を寄せ合って歩くこの黄金の絨毯に覆われた煉瓦の歩道は、まるでバージンロードのようで。


そう思うと、物寂しいこの季節も案外悪くないと古都は思うのだ。


いつか来るその日に、想いを馳せることができるから。

褐色

「今年こそ、小麦色に焼きたい!」

 

外ではミンミンゼミのコンサート。燦々と降り注ぐ日差しに人々が辟易しながら歩いている最中、エアコンの効いた研究室でエリスが吼える。その肌は雪を思わせるくらい白く、小麦色とは程遠い。
「エリス先輩、小麦肌に憧れがあるんですか?」
「もちろんあるともさ!あの健康的な褐色の肌、まさに夏の象徴ではないか!
けれど何故だ!何故私はこんなに照りつける太陽の下、夏休みを満喫せずに研究室に引きこもっているのだろう!このままではあの小麦色がまた憧れのままで終わってしまう!」
「それは夏休みが研究や実験のためにまとまった時間を取れる貴重な期間だからでしょうね」
「それはわかっているのだよ、兎月くん。そしてそのような日々を過ごすのも嫌いではない。けれどやはり私は!日焼けをしたいのだ!」
真面目な顔をしたエリスの金髪が窓ガラス越しの光を受けてきらきらと煌めく。
「じゃあプールとか海とかに出掛けるっていうのはどうです?何も夏休み中ずっと研究室に縛り付けられてるわけじゃないですし」
「!ナイスアイデアだ、兎月くん!どうせなら研究室メンバー全員を連れて旅行にしてもいいかもしれんな!」
今からでも予約が取れるところはあるだろうか、いっそのこと日帰りで行ってくるのもいいかもしれない。ぶつぶつと呟きながら旅行の構想を練るエリスに、兎月はふと気がついた事実を問いかける。
「そういえば、エリス先輩って体質的に焼けるんですか?」
その疑問に、エリスはぐっと親指を立ててこう言った。

 

「うむ、全く焼けん!赤くなってそのまま落ち着くだけだ!」

ヘッドホン

「──先輩、雪丸先輩!」

 

ヘッドホン越しに聞こえる声に、魔導課第2部隊所属の鈴廣雪丸は後ろを振り向く。そこには駆け寄ってくる後輩、春沢銀歌の姿があった。高い位置で結われたツインテールがぴょんぴょんと跳ねる。
「おー銀歌、今帰りか?」
「はい!雪丸先輩もお疲れ様です」
何を聞いてるんですか?頭一つ分小さい位置にある銀灰の瞳が雪丸を覗き込む。彼は耳からヘッドホンを外すと、銀歌の首の後ろからそれをかけてやる。
「……これって、ピアノ?」
「そ、昔弾いてたことがあってな。その名残で今もよく聞いてるんだよ」
「!雪丸先輩、ピアノ弾けるんですね!」
「あんまりそんなイメージないだろ?どっちかっていうとギターの方が弾いてそうってよく言われる」
戯けた調子で肩を竦める雪丸に、銀歌はくすくすと笑いを漏らした。
「よかったらピアノ、今度聞かせてください!」
「おう、気が向いたらな」

 

ヘッドホンを手渡すときに指と指が触れ合う。
銀歌の頬に体温が集まっていくのに、目の前の彼は気づいていないだろうか。

ラーメン

ラーメンとはカメレオンである。

 

麺の細さから味、トッピング、ベースとなるスープの出汁の組み合わせでその姿を如何様にも変える。例えば同じ醤油ラーメンでも、店によってその味わいは全く別物と言ってもいいくらい異なるのだ。
「つまりそのラーメンにはそのお店でしか出会えない。もしお気に入りの一杯が見つかったのならそれは運命の出会いに他ならないのだよ。
特に最近のラーメンの多様性には眼を見張るものがある。醤油、味噌、塩、豚骨……そういったスタンダードなものから、なんと野菜をベースにしたラーメンや洋食の要素を取り入れたものなどもあると聞く。その無限とも言える種類の中から好みのものに出会えることは奇跡と言わずして何と言おうか!」
「エリス先輩、気持ちよく語っているところ申し訳ないですが、そのままだとラーメンが伸びちゃいますよ」
「兎月くん冷たい!」
今しがたまで得意げだった顔は途端に泣きそうなそれに変わる。

 

エリスのころころ変化する表情を見て、むしろ彼女の方がカメレオンなのではないかと、兎月は内心思うのだった。

パーティーを抜け出して

挨拶回りばかりの退屈なパーティーなど、抜け出してしまえばいい。


「ちょ……古都!勝手に抜け出したら……」


みんなに心配かけちゃう。そう言いかけたあやめの唇を古都は人差し指で塞ぐ。


「ちょっとだけだし、大丈夫だって」


細い手首を軽く掴んで、彼はパーティー会場の端──バルコニーの陰に愛しい恋人を引き込む。


「それに、こんなに綺麗なあやめを放っておくなんてもったいない」


柱の影、2つの影が1つに重なる。人混み特有のざわつきがすぐ側で聞こえる。唇が離れた瞬間、あやめの顔はこれ以上ないほどに上気していた。


「……恥ずかしすぎて泣きそう?」


悪戯っぽく笑う古都が耳元で低く囁くものだから。


「もう……っ、とりあえず落ち着いて!誰か来るかもしれないし!」


あやめは照れ隠しに彼の腕を小突く。


人々はパーティーに夢中で自分たちのことなど意識の外だ。そうはわかってはいても恥ずかしいものは恥ずかしい。


夜風がひんやりと、彼女の熱を持った頰を撫でていった。