Hütte on the moon.

いだてんぐの小説置き場です

サイドテール

「古都、頼みたい仕事があるんだが、ちょっといいか」

 

上司である優木左京に呼び出された古都は司令官室を訪れていた。
魔導課の副隊長という立場上、こういったケースは少なくない。しかし自分だけに仕事を頼まれるというのは今までにないことだった。
「もちろん構いませんけど……オレ単独で動いていい案件なんですか?」
「むしろ1人の方がいい、あまり大人数を動かすことができん類のものでな。
さて、では古都。まずは何も言わずに着替えてこい」
左京が指をパチンと鳴らすと、司令官室に煌びやかな集団が入ってくる。古都が抗う暇もなく、その集団は彼を部屋から連れ出した。

 

『今夜パーティーがあることはお前も知っているだろう。そこにあやめが出席することも。
お前に頼みたいのはその護衛だ』
『ただのパーティーだと思っていたのだが、先ほど部下から情報が入って来てな。何やら怪しい動きをするものたちがいるらしい。あやめほどの腕前があれば大事に至ることはないだろうが、それでも万が一ということがあるからな』
『しかしこのパーティーには少々厄介なコードがある。聞くところによると「女性限定」という触れ込みで開催されているようだ。私が行ってもよかったのだが、生憎本部の会議が入っていてな。そこで白羽の矢を立てたのがお前というわけだ』
サイドテールのウィッグを被り、見事な化粧を施した古都はパーティー会場の入り口で溜息をつく。元々線の細い体型をしていることもあって、イブニングドレスにケープを羽織った彼はどこからどう見ても女性である。
(確かに女装すれば潜り込めるかもしれないけど……強引すぎだろ、左京さん)
魔導課には女性の魔術師も数多く在籍している。わざわざ自分に頼まずとも候補はいくらでもいるはずだ。それでも自分に仕事が回ってきたということは。
(その「万が一」が起こる可能性が少なくないわけか)
あやめと古都は魔導課内でも1,2を争う魔術の使い手である。加えて2人のコンビネーションは他の追随を許さない。そのあたりも加味しての人選なのだろう。
それにしても。
(事前にあやめに伝えておいてくれるとは言っていたけど、この格好で気づいてもらえるかどうか……)
今の自分の格好は完全に女性のそれだ。いくら付き合いの長いあやめであっても、すぐにはわからないに違いない。
冬の乾いた風にミルクティー色のサイドテールが揺れる。慣れないウィッグの重さに辟易しながら吐く息で手を暖めていると、目の前に陽の光で染めたような明るい黄色が横切った。サイドテールにされた紅茶色の髪がふわりと靡く。柘榴の瞳が古都を捉えた瞬間、その表情がぱあっと輝いた。
「古都!わあ、本当に女の子の格好してる!」
「あやめ、よくわかったな。結構別人に見えると思うんだけど……」
「あたしが古都を間違えるわけないよ!」
なんて言ったってパートナーなんだから。腰に手を当て得意げな顔をするあやめが愛おしくて。彼女の髪型を崩さないよう注意しながら古都はそっと撫でると、すっと左手を差し出す。
「お手をどうぞ、お姫様」
「……今日は古都、女の子だよ?」
「……そうだった……」
でも、ありがとう。迷いなく取られた手が古都の胸を暖かくする。

 

お揃いのサイドテールが軽やかに揺れ動いた。

チョーカー

「ねえ、古都。これって変じゃないかなあ?」

 

桜色のカクテルドレスを身に付けたあやめは、裾をつまんでその場でくるりと回る。Aラインのシルエットがゆらゆらとひらめいた。
「ん、よく似合ってるよ」
古都はネクタイを軽く締め直し、目線をあやめの方に向けるとゆるりと笑う。
この日は各国の魔術師が集う交流会。魔術世界の秩序たる対魔局魔導課の隊長と副隊長である2人はゲストとして招待されていた。
「本当?よかったー。こういう格好ってあんまりしないからちょっと不安だったんだ」
「それは俺もだよ、正装って機会がないとなかなかする機会ないよな」
そうだ、あやめ。目を閉じて。
古都に促されるままあやめが目蓋を下ろすと、ひやりとした感触。驚いて目を開けると、鏡に映った彼女の首では薔薇があしらわれたチョーカーが揺れていた。
「オレからのプレゼント」
不意にうなじに落とされた唇に、あやめの心臓がとくんと跳ねる。

 

その頰は首元に咲く一輪の花のように紅く染まっていた。

黒髪

宵闇で染め上げた髪がふわりと北風に舞った。

 

街路樹は鮮やかに化粧をし、通りに金糸と紅の絨毯を敷き詰める。琥珀は踊るように天鵞絨のスカートを翻し、待ち人ににっこりと微笑みかけた。
「久しぶりね、楓」
「お久しぶりです、姉さん。今年も綺麗に染まりましたよ」
笑みを向けられた青年は緩やかに一礼すると、片手で持つには些か大きすぎる紙袋を姉へと差し出す。
「これ、今年の紅葉です。姉さんの魔法でメープルシロップにしてあげてください」
「ありがとう。もう紅葉に色をつける時期は過ぎたのかしら?」
「ええ、まだ少し青い葉が残ってはいますが繁忙期は過ぎました」
それならよかった。琥珀は紙袋から紅葉をひとひら手に取ると、自らの濡れたような黒髪にそっと挿す。夜空の一番淡いところを切り取ったような黒に映える眩しいほどの赤は、さながら世界を塗り潰そうとする夜陰に抗って燃える夕焼けのごとく。

 

揺れるガス灯の明かり。
2匹の黒猫が黄金色に照らし出された雑踏の中に掻き消えた。

炎のような恋、水のような愛

炎と水が交わった。

 

河原古都──魔術界隈では「類稀なる炎使い」として有名な魔術師である。そんな彼の瞳には、操る炎と同じかそれ以上の熱が宿っていた。
「……あやめ」
それは偏に彼の同僚であり、上司であり──そして同級生かつ想い人にあたる巴華あやめが要因であった。彼女の華奢な腰に腕を回して彼は自分の方へと引き寄せるが、嫌がる素振りはない。むしろその行為を肯定するかのようにあやめは身を寄せ、上目遣いで古都を覗き込んだ。
「誰も、いないよ?」
そのあどけない仕草は、古都の心を捉えて離さない。睫毛が触れ合う距離にまで近づいて、そっと唇を重ねる。

 

古都と時を同じくして魔術師の才能を開花させたあやめは、防御に特化した水の魔術師である。攻撃を得意とする古都とは魔術の相性が良く、よく2人でバディを組んで活動していたものだ。2人組で行動することが少なくなり、古都があやめの補佐をするようになった今でもその連携は変わらない。恐らく魔術の相性以上に、性格の親和性が高かったのだろう。

 

古都があやめに惹かれ始めたのはいつ頃だっただろうか。気がついたら彼の目線の先には彼女がいた。常に懸命で、真っ直ぐで、誰かを救うためならどんな努力も厭わない──そんなあやめが眩しくて、心の底から力になりたいと思ったのだ。
ちょうど、皆の渇きを癒す水に焦がれる炎のように。

 

刹那の口づけの後、2人はどちらともなく額をくっつける。吐息が交じる。互いの魔力を閉じ込めたペンダントがこつんとぶつかって揺れた。
「……左京さんに怒られちゃうな、『公私混同も大概にしろ』って」
古都は師匠であり、自分とあやめ共通の上司でもある人物を思い浮かべて苦笑する。自分の感情を制御できずに仕事場でキスをしたことがバレたらどうなることか。
「そのときはあたしも一緒に怒られてあげる」
許した時点で同罪だしね、なんて彼女が笑うものだから。彼はあやめの額に唇を落とし、その髪をくしゃりと撫でた。
「じゃあ“そのとき”はよろしくお願いします、総隊長」
「任せなさい、副隊長」

 

蛍光灯の明かりに照らされて、ペンダントの中の紅と蒼がゆらりと揺らめいた。

座る

今日の任務はハードだった、とあやめは伸びをしてベッドに座り込んだ。

 

「お疲れ様、あやめ」
ココアで満たされたペアマグを手にした古都がその隣に腰掛ける。
「はい、どうぞ」
「ありがとう!
……それにしても3件も出動があるなんて」
休む暇もなかったよ。忙しさに堅くなった心が、手の中の温もりによって融かされていく。
口の中にはとろけるような甘さ。お湯と牛乳の絶妙なバランスで組み立てられたそれは、あやめのためだけのオーダーメイド。
ふかふかのマットレスと隣にいる恋人に体を預けると、今日の疲れが吹き飛んでいく気がした。
「今日はなんだか甘えたい気分だなー」
「今日も、じゃなくて?」
「んー……そうかも」
サイドテーブルで2つのマグがキスをする。

 

シングルベッドに座る2人のシルエット。
その影がやがて1つになり、暗闇に溶け込んでいった。

流星のような、恋

恋はまるで流星のようだ。
前触れもなく降り注ぎ、心を捉えて離さない。

 

「あっ、古都!見て見て、オリオン座だよ!」
よく磨き上げられたガラス窓のような透き通った空気に、白い吐息が溶けて消えた。黒いキャンバスに散らされた無数の星があやめの柘榴色の瞳に映る。
「本当だ、もうすっかり冬だな」
手を伸ばせば届きそうな銀色。夜空と同じ色をしたマフラーを北風に揺らしながら、古都は満天の星空を見上げた。
冷え切った指先が触れる。刹那、あやめと古都の視線が交差した。
「寒いね」
「ん、寒い」
右手と左手が惹かれ合う。ゆっくりと、交じる体温。街灯に照らし出された影が一つに繋がった。
「──肉まんでも買ってく?」
「さんせーい!」
無邪気に微笑む彼女の横顔を見て、古都は眩しそうに目を細める。
「……綺麗だな」
「んー?」
「星」
あやめは少し不思議そうに首を傾げたが、再び空へと視線を向けると「そうだね」と頷いた。

 

流れ星が何度も地上に降り注ぐように
オレは君の笑顔を見るたび恋に落ちる。

琥珀糖びより設定

琥珀糖庵(Kohakutou-an)
魔法のお菓子屋。世界の美しいところを切り取って、それをお菓子に変えることのできる魔法使い「糖蜜 琥珀」が主人。
星屑の金平糖、波がさざめく水飴、地平線のチョコレート、恋を凝縮したドライフルーツ、入道雲の綿飴、大樹のバウムクーヘン、夕焼けのゼリー、紅葉のメイプルシロップ……。
その不思議な菓子の数々は、食べた人間に希望を与えると実しやかに噂される。
しかし魔法使いにとってこれらの菓子はただの嗜好品の域を出ない(人間のように希望を与えられることはない)。

 

糖蜜 琥珀(Toumitsu Kohaku)
あらゆる美しいものをお菓子に変える能力の持ち主で、琥珀糖庵の主人。自分の作る菓子が人間に希望を与えるものだということは理解しており、それ故いたずらに人間界へばら撒くことは好まない。普段は人払いの魔法をかけた店舗で、魔法使いを相手に商売をしている。
綺羅崎あやとが琥珀糖庵の菓子で希望を得たことは既に知っていて、運命を捻じ曲げてしまったことに罪悪感を抱いている。しかしそれと同時に人間臭く生きようと足掻く彼を興味深く思っており、その行く先を見てみたいという好奇心から自らを探す彼を琥珀糖庵へ導いた。あやとに対しては前述のように複雑な感情を抱いている。
持って回ったような回りくどい言い方を好み、比喩表現をよく用いるのが癖。マイペースだが、どこか超然としている。

「貴方がどう思おうと勝手だけれど……私のお菓子はパンドラの箱よ。希望なんていう眩い光に気を取られて、絶望という深淵を見失ってしまう。気がついたときには暗闇に囚われている──なんてこともあるかもしれないわね」
「あら、綺羅崎くん。なあに?報告?ミルクティーを飲んでからにしましょうよ。ちょうど天の川のミルクが手に入ったの」

 

綺羅崎 あやと(Kirasaki Ayato)
かつて生きる気力を失い、行方を晦まそうとした男子高校生。失踪しようとした直前にある魔法使いに出会い、そのとき琥珀糖庵のお菓子を口にする。星屑の金平糖を食べた彼は、以前までとは打って変わって生に貪欲になる。
自分の命を救った菓子を作った魔法使いを探していた最中、琥珀の導きにより琥珀糖庵に辿り着く。以後、琥珀の計らいで琥珀糖庵に立ち入ることができるようになった。
皮肉屋でマイナス思考、厭世的で世の中を斜に見る性格から精神的に摩耗しやすく、そのために生きようとするエネルギーを失くしていた。魔法の菓子に与えられた希望によって今の自分が成り立っていることについては、自分が塗り替えられたような不思議な感覚を抱きながらも命を救われたことを素直に感謝している。

琥珀さんが何と言おうと、俺はこのお菓子に救われたんだ。その恩返しをしたい、例えそれが仮初めの希望に拠るものでも」
「あーもう……めんどくさいことになっちまったなあ……とりあえず、琥珀さんに報告報告、っと」

 

糖蜜 楓(Toumitsu Kaede)
琥珀の弟。夕焼けで紅葉を染める魔法の使い手。その魔法の性質から、秋になると世界中を駆け回っている。
琥珀曰く、「楓が染めた紅葉で作るメイプルシロップが一番美味しい」とのこと。姉弟仲は良好で、楓はその年で一番綺麗に染まった紅葉を毎年琥珀に贈り、琥珀はそれで作ったメイプルシロップを贈る。
性格は生真面目でいつも敬語。魔法の菓子を食べたあやとに対しては、希望というまやかしで運命を変えられてしまった哀れな少年と思っている。

「こんにちは、僕の名前は糖蜜楓。琥珀の弟です。そうですか、貴方が……琥珀糖庵のお菓子を食べたという人間ですか」
「希望なんていいものじゃないですよ。届くかどうかもわからない星を見上げて何になるというんです?ましてそれで自分の意思を曲げられるなんて」