Hütte on the moon.

いだてんぐの小説置き場です

ナイショ

「おばあさんはどうしてそんなにお耳が大きいの?」

 

山を下り、小屋の主人である老婆を食らってからどれほど経っただろう。最初は老婆の皮を被って、よく訪ねてくるという孫も食べてやろうと思っていた。
はずなのに。
「お前の声をよおく聞くためだよ」
「おばあさんはどうしておててが大きいの?」
「お前の手を暖めるためだよ」
僕は今もまだ老婆の振りをし続けている。毎日毎日訪れては焦点の合わない瞳で譫言のように質問を繰り返すこの赤い頭巾に情を抱いてしまっているのだろうか。
「おばあさんのお口はどうしてそんなに大きいの?」
「お前と一緒に大きな声で笑うためさ。……ところで赤ずきんや、私も質問をしていいかい?」
赤ずきんの返事を待たずに、僕は彼女の袖を捲り上げた。白い肌に浮かんでいる無数の紫、紫、紫。
「……これは誰にやられたんだい?」
「……それはナイショよ」
虚ろなガラス玉のような瞳が僕の姿を捉えた気がした。緩慢とした動作で、彼女は僕の毛むくじゃらの耳に触れる。

 

「──ねえ、いつになったら食べてくれるの?」

いちご

それは陽の光に照らしたルビーのように、深く鮮やかな赤。


親戚からもらったからとバスケットから溢れんばかりのいちごを花重から受け取ったのはつい昨日のことだ。

『1人だと持て余しちゃうし食べて食べて!』と言われたはいいものの、そのまま食べるにしても量が多い。料理は得意分野ではないがせっかくの頂き物を駄目にしてしまうのも忍びない、と昔から父がよく作ってくれていたいちごムースケーキを作ることにしたのである。


『いいかい、あやめ。お菓子作りをするときに大切なのは分量をきちんと計ることなんだ』


家でお菓子を作る度、パティシエの父が口癖のように言っていたのを思い出す。しっかり計量しないと別物のようになってしまうのだという。


『あとは少しオーバーかな?ってくらい砂糖を入れること。人が「甘い!」って感じるためには結構な量の砂糖が必要なんだよ』


その言葉の通り、調べたレシピに載っていた砂糖の量はびっくりするくらい多かった。甘いものが好きで、普段からお菓子をよく食べているあやめからするとあまり知りたくなかった事実だ。

生クリームに、砂糖と一緒に煮詰めたいちごを混ぜ込んで、ふやかしたゼラチンを加える。それをケーキ型に流し込んで、冷蔵庫で数時間。スプーンで押しても生地がついてこなくなったらムースは出来上がり。
淡い桃色のムースの上へ、慎重に真紅の果実を敷き詰めていく。皿に山盛りになっていたそれがなくなる頃には、朝露を受けて煌めく薔薇のようなケーキが出来上がっていた。
「完成……!」
流石にケーキ作りを生業とする父には及ばないが、なかなか上手に出来たものだとあやめは心の中で自画自賛する。売り物だと言っても通用するのではないか。
仕上げに溶かしたゼラチンを刷毛でいちごの表面に塗りながら、彼女ははたと気付く。1ホールのケーキは1人で食べるには大きすぎる。
魔導課に持っていくにしても今日は休日、ムースケーキである以上日持ちもしない。途方に暮れかけたそのとき、あやめのスマホに一通のメッセージが届く。


《花重からもらったいちごでタルト作ったんだけど、よかったら食べない?》


ああ、そういえば古都もいちごをもらっていたっけ。あやめは苦笑を漏らしながら手早く返信を打つ。

 

その日、作ったケーキを半分ずつ分け合う魔導課総隊長と副隊長がいたとか。

ケーキ

「ごめんね、2人とも。在庫処分みたいなことさせちゃって」
クリスマス翌日の『パティスリーサリュ』。麻尋は顔の前でぱん、と手を合わせ娘のあやめとそのパートナーである古都に頭を下げる。
「謝らないでください、麻尋さん!むしろケーキを頂けて嬉しいくらいなんですから!」
「そうだよ、お父さん!まだ使える材料が捨てられちゃうなんてもったいないし!」
クリスマスはパティスリーが一番忙しい時期と言っても過言ではない。そしてそれ故に、在庫管理が難しい時期でもある。
「一応計算して仕入れてはいるんだけどね……足りなくなるよりは、ってつい多めに頼んじゃうんだ」
せっかくのクリスマスだし、みんなに食べてほしいじゃない?そう笑う麻尋の表情は、連日の忙しさを感じさせないくらい穏やかだ。
「その気持ち、わかるような気がします。少しでも多くの人に喜んでもらいたいですよね」
「わかってくれるかい、古都くん!嬉しいなあ、これも持っていって!」
箱詰めされたケーキの上に焼き菓子をいくつか乗せる父を、あやめは「また従業員さんに怒られるよ」と苦笑まじりに窘めるのだった。

ショートケーキ

白いドレスに赤い王冠。
煌びやかな装飾のないその佇まいが、かえって女王の風格を感じさせた。

 

あらゆるケーキが花を添えるクリスマス。ショーケースの中で出番を待つ彼女たちはどこか誇らしげで。
その中でも一際輝きを放っているのは、シンプルなショートケーキ。次々と手を引かれ祝祭の中心へと向かう姿は、花瓶に生けられた一輪の薔薇の如く気高く美しい。
グラサージュやマジパンなどでその身を飾るのもとても魅力的ではあるけれど」
軽く会釈をしてふわりと微笑む彼女からは驕りは一切感じられない。
「特別な日の素敵な思い出を添えるために、私はこのままでいたいの」
メインはあくまでケーキではなく、クリスマスという出来事そのもの。そうであるなら、私自身は簡素な方が綺麗なものが引き立つでしょう?

 

ドロップを散りばめたようなクリスマスツリーに、食卓を埋め尽くすご馳走。
今日この日が人々にとってかけがえのない日になることを祈りながら、彼女は『Merry Christmas』のメッセージカードを膝の上に置いたのだった。

ハロウィン

「トリックオアトリートー!」
いつの間にやらバレンタインやクリスマスと肩を並べるほどのイベントとなった10月31日。仮装した人々で溢れかえる街中をそのまま切り取ったように、魔導課もオレンジと黒で彩られていた。愛らしい蝙蝠やかぼちゃの装飾の中で猫の手の仕草をするのは、魔導課の総隊長である巴華あやめだ。その頭からは黒猫の耳がぴょこんと飛び出している。
「お菓子くれなきゃ悪戯するにゃん♪なんてね!」
その言葉を向けられた吸血鬼姿の青年──河原古都はマントの内から袋入りのチョコレートを取り出し、彼女の手のひらに落とした。
「はい、どうぞ」
「……古都ってこういうところ、抜け目ないよね」
「ん、悪戯したかった?」
「そういうわけではないけど」
まあ、オレとしては悪戯も大歓迎だけどね?
耳元で低く囁かれたあやめは、格好も相まって増した古都の色香に頬を赤らめる。

 

それを悟られまいと照れ隠しに「……猫パンチ!」と彼の肩を叩いたのだった。

愛の在り処

自身の求める愛なるものが那辺にあるのか、僕には凡そ見当もつかない。

 

誰にともなく僕がその呟きを空に投げると、少し離れたところに居た君は不意に振り向き悪戯っぽく笑った。
「愛の在り処は此処ではない何処かではないのよ」
ととと、と彼女は僕に向かって駆け寄ると、その指が僕の胸を指し示す。
「貴方と、相手の心の内に存在するものなの。解っていて?」
「では、既に僕の中に眠っているということかい?」
「そうよ、貴方が運命の相手と出逢ったそのとき、目を覚ますのよ」
それはまるで、雪解けと同時に芽吹く蕗の薹のように。
そのときが楽しみね。スカートを翻しながら夕陽の街並みに溶けていく君の姿を見送り乍ら、僕は彼女に指差された心の臓の辺りに手を当てた。
とくん、とくん。
何時もより駆け足になっているその鼓動を感じつつ、目を閉じる。

 

願わくは、僕と同じ感情が君にも眠っていることを。

焼き芋

乾いた風、どこからともなく漂ってくる焚き火の匂い、色づいた木々。
秋を感じさせるものは色々あるけれど。

 

「スーパーに焼き芋が並び始めると、秋!って感じするよね」
銀杏の葉を踏みしめる2人の手の中には紙袋に包まれた温もり。今の時間に食べてしまうとご飯が入らなくなるとわかっていても手にしてしまう、悪魔の食べ物だ。
袋を開け、真ん中から2つに割ると白い湯気がふわりと立ち上る。蜜を宿して輝く金色が「早く食べて」と呼びかけているような気がした。
行儀悪いけど、冷める前に食べちゃおうか。古都の言葉に促されるようにあやめが一口齧り付くと、口の中いっぱいに広がる優しい甘み。その豊かな味わいにあやめの表情は無意識に綻ぶ。
「おいしい!」
「この寒さの中で食べる焼き芋は格別だよなー」
体を包む空気はぴりりとひりつくくらいに冷え切っていて、しかしかえってそれが焼き芋の温かさを引き立てた。その温度は心も体も暖めてくれるけれど──

 

両手が塞がって彼と手が繋げないのを、彼女はちょっとだけ残念に思うのだ。